
- ゲルハルト・ヘッツェル氏略歴 -
|
年/月/日
|
年令
|
出来事
|
ヘッツェリアーナのコメント
|
| 1940/04/24 |
0才
|
ユーゴスラヴィアのNovi Vrbas(ノヴィ・ヴェルパス)に生まれる。(現在の地名はVrbas)
父親は第一次大戦前にウィーンに来たハンガリー人で外科医、母親はルーマニア人 |
|
| 1944-45 |
4〜
5才 |
戦争の激化により、家族ともどもNovi Vrbasを離れる |
|
| - |
5才
|
最初のヴァイオリンのレッスンを受ける |
|
| 1947 |
7才
|
ドイツのMagdeburg(マグデブルク)でヴァイオリンや音楽理論を学ぶ。
Otto Kobin(オットー・コービン)、Tell 両氏に師事 |
Magdeburgはベルリンの西南約200キロほどに位置する町。家族と一緒に移り住んだのだろうか? |
| 1948 |
-
|
最初のコンサート |
|
| 1950 |
-
|
バッハ没後200年記念祭でバッハの協奏曲2曲を演奏。Magdeburg Crystal Palace(マグデブルク水晶宮殿)にて |
|
| 1952 |
-
|
政府の奨学生としてルツェルンでWolfgang Schneiderhan(ヴォルフガング・シュナイダーハン)のマスタークラスに入る。同時にルドルフ・バウムガルトナーにも出会う |
シュナイダーハンは1937年から49年までウィーン・フィルのコンサートマスターとして活躍、また自身の四重奏団を率いて演奏活動を行った |
| 1956(-60) |
-
|
シュナイダーハンが力を注いだルツェルン祝祭弦楽合奏団の創立メンバーとして活躍。同時に合奏団のソリストとして、ザルツブルク音楽祭やカザルス音楽祭などヨーロッパ各地やイランでも演奏を行う |
|
| 1957 |
-
|
マスタークラスを特別優秀な成績で卒業 |
|
| 1958 |
18才 |
ソリストとしてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に出演 |
|
| 1959(-70) |
-
|
シュナイダーハンの助手として彼のマスタークラスに協力。生徒はほとんどが彼より年上だったという |
|
| 1963 |
23才 |
ミュンヘンの国際コンクールで入賞 |
この時の演奏(バッハのソナタ)をCDで聴くことができる |
| 1963(-68) |
-
|
指揮者フェレンツ・フリッチャイに招かれ、ベルリン放送交響楽団のコンサートマスターとなる |
フリッチャイは63年2月20日に死去するので、ベルリン放響での共演はなかったと思われる。後任の指揮者はロリン・マゼール |
| 1968 |
-
|
ベルリン放送響のコンサートマスタ−をやめて、ミュンヘン音大の教授となる |
|
| 1969/09/01 |
29才
|
コンサートマスター採用試験を優秀な成績でパスし、ウィーン国立歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターとなる |
|
| 1970 |
-
|
1969年にヒューブナーが結成したウィーン室内合奏団に、ヴァルター・ヴェラーの後任として参加 |
|
| 1971 |
31才
|
ウィーン祝祭週間(Wiener festwochen)の音楽祭にて、ウィーン室内合奏団のデビュー演奏会を行う |
|
| 1972 |
-
|
ウィーン・フィルをバックに初のソロを披露(バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番、指揮ホルスト・シュタイン) |
|
1979/03/30
-04/25 |
38才
39才 |
ウィーン室内合奏団来日公演。ベートーヴェンの七重奏曲やシューベルトの八重奏曲を演奏。 |
|
| 1980/10/03 |
40才 |
ヴィエール・フィルハーモニック演奏会(大阪)「ウィーンフィル トップメンバーによる協奏曲の夕」にてモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番を演奏 |
|
| 1982/03/27(,28) |
41才
|
第7回定期演奏会のソリスト、ナタン・ミルスタインが演奏会の数時間前にキャンセルしてきたため、リハーサルなしで急遽代役で演奏、見事に弾きこなす(ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。指揮はエーリッヒ・ラインスドルフ ) |
|
| 1984 |
44才
|
ウィーン、ボン、ザルツブルク音楽祭にて再び、ウィーン・フィルをバックに独奏(バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番。指揮はロリン・マゼール) |
この時の演奏をCDで聴くことができる |
| 1984/11/17,18 |
44才
|
第2回定期演奏会にてシュナイダーハンとともにバッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」を演奏(指揮はズービン・メータ) |
|
| 1985/04/05 |
44才 |
東京都交響楽団第213回定期演奏会にてベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏(指揮はアダム・フィッシャー。東京文化会館) |
|
1985/04/
08,09 |
44才 |
東京・大阪でのソロ・リサイタル(バッハのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ。チェンバロは山田貢) |
|
| 1986 |
-
|
ミュンヘン音大の教授をやめ、シュナイダーハンの跡を継ぐ形でウィーン音大の教授となる |
|
|
1988/03/16 |
47才 |
東京都交響楽団第269回定期演奏会にてブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏(指揮は渡邊暁雄。東京文化会館) |
|
| 1988/03/19〜26 |
47才 |
日本各地でのソロ・リサイタル(モーツァルトの40番、ベートーヴェンの10番、ブラームスの3番のヴァイオリン・ソナタ。ピアノは小林道夫) |
|
| 1991/03/25〜04/13 |
50才 |
日本各地でのソロ・リサイタル(モーツァルトの40番と42番、ベートーヴェンの7番と10番、ブラームスの1番と3番のヴァイオリン・ソナタ。ピアノは小林道夫) |
|
|
1991/03/29 |
50才 |
京都市交響楽団の演奏会にてモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」を演奏(指揮は山田一雄、京都会館第一ホール) |
|
| 1992/01/23〜28 |
51才
|
満を持して初のソロ・レコーディング(ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1〜3番、ピアノはヘルムート・ドイチュ) |
|
| 1992/04/25,26 |
52才
|
第8回定期演奏会にてマルティヌーの「フルートとヴァイオリンのための協奏曲」を演奏(フルートはW.シュルツ、指揮は小澤征爾) |
|
| 1992/07/29 |
52才
|
ザルツブルク音楽祭(アバド指揮・ヤナーチェク「死の家より」)のリハーサルが早く終わったため、レグラ夫人とともにサンクト・ギルゲンからほど近いオーベナウアーシュタインへ登山に出かけたが、海抜約900m地点で転倒、10メートル下へ滑落した。岩に手をかければ助かる事故だったが、音楽家として本能的に手をかばったため頭部と足を強打したという。ヘリコプターからの40mザイルで救出され、ザルツブルク救急病院に運ばれたがそのまま息をひきとった。
遺骸はヴィーン郊外の Maurer Friedhof に埋葬された。 |
サンクト・ギルゲンの
巡礼記はこちら
ヘッツェル氏の墓所の
巡礼記はこちら
|