1914年8月12日、ハンガリーのショプロン生まれ。フバイとマイレッカーにヴァイオリンを習い、ウィーン交響楽団やウィーン・フォルクスオパーのコンマスを経て、1954年に晴れてウィーン国立歌劇場とウィーン・フィルのメンバーに。バリリ四重奏団が五重奏曲を演奏する際の第2ヴィオラ奏者としても活躍、歴史的な録音も残している。
1963年から64年にはなぜかN響のコンマスとして来日。のちに親日家としても知られるようになるのは、この来日がきっかけであろう。ところで、このN響在籍時の貴重な映像がなんと残っていたのだ。NHKで放送された『20世紀の名演奏』のボスコフスキー(ウィーン気質)とアンセルメ(火の鳥)が指揮する映像の中で、コンマス席に若き日のヒューちゃんの姿がばっちりと映っている。でも意外にもコンマス席が似合っていないのが印象的だった。
追記(15. Jul 2003):他の日に放送されたドヴォルザークのチェロ協奏曲では、3楽章のヴァイオリン・ソロを弾くヒューブナーが確認できる。こちらの方がお宝映像かも。
さてウィーン・フィルに話を戻すと、キャリア後半は先輩のシュトラッサー教授と同じように楽団長(1972-78)も務めながら無敵のセカンドトップぶりを発揮した。69年のヘッツェル入団から80年に隠居するまでの約10年間は、とりわけヘッツェルを、セカンド・トップとして非常に暖かく後方支援してくれていた。
ウィーン室内合奏団やウィーン室内アンサンブルにおいても、セカンドヴァイオリン奏者としてヘッツェルと組んで活動した。
ヒューちゃんの特徴は、第1にアクションは地味ながらも神業としか言いようのない「奇跡的な弓さばき」が挙げられよう。楽器に吸い付いているかのようなすごいボーイングでどんな難曲もばったばったと弾き倒してしまう。このヘッツェルとは全く違った意味での完璧さは、マリオ(マリオ・バイヤー)がしっかと受け継ぐこととなった(…と我々は勝手に思っている)。
しかしパーフェクトな技量とは裏腹な、きゅっと閉じた口元とカールした(させた?)後ろ髪、熊のぬいぐるみのようにちょこんと椅子に腰掛ける姿が、ほんと卒倒しそうなほどかわいいヒューちゃん。このミスマッチがたまらないのだ。